20.9.12

横浜美術館で見た、奈良美智の「変化」


Let’s Talk About ‘Glory’



奈良さんを最初に意識したのは、資生堂が出している花椿を見たときだったと思う。確か96、7年くらい。
当時の花椿は、表紙が大判を内側に折り込む形になっていて、開くと毎号誰かアーティストの作品が載っている仕様だったんですね(途中から自社広告になってしまいましたが…)。そこで見たのが最初で、えーとなんか作風リタ・アッカーマンに似てる? くらいの印象で。でも「ふーん」くらいにしか思わなかったんではないかと。
その後、横浜の有隣堂の美術書コーナーで「深い深い水たまり」を発見して、文章が一緒に綴られてるんで、あーこれは自分と戦ってる人だな、って好きになった、という経緯があり。
昔から言っているような気がするけど、私が奈良さんを好きなのって、自分と戦っている人だから。なのです。でも、ドイツでひっそりとひとりでやっていたのが、よしもとばななさんとやるようになり、そしてもちろんgrafの豊島さんとやるようになり、そのスピリットが共有され、またそのことによって科学反応が起こり、どんどん大きくなって。でも、基本はいつでもひとり。そういうところが好きでした。

しかし私はいつのまにか奈良さんを意識しなくなっていた、と思う。A to Zをピークに、なんだかわからないけどそんなに追うことがなくなった。Twitterのフォローもずいぶん前にはずしてしまって…。別に嫌いになったとかでは全然ないのだけど、奈良さんが今どんなことをやっているのか、そういうことが全然気にならなくなってしまった。

だから今回、すごく久しぶりに奈良さんの作品に触れた感じ。足を運ぼうと思ったのは、開催が横浜美術館だった、というのが大きいと思う。11年前に行ったときは奈良さん大好きの絶頂だったし、やっぱり私は横浜出身なんで。すごい久しぶりに親戚に会いに行くみたいな状態でした。

とはいえ、奈良さんから離れていた私は、最近の奈良さんの作風とか、どんなことを考えてものをつくっているかとか、そういうことがまったくわからず。NO NUKESのアートワークがTシャツになったり、プラカードにしてデモでどんどん使ってください! とTweetしていたとか、作品集にコピー作品が載ったまま出版されちゃったりとか(ありましたよね?)、そんなことくらいしか知らずで。

噂には聞いていたけど会場は激混み。すっかり疎遠だった私は、どんな人がなんで奈良さんを好きなのかということがまずあまり理解できず……という勝手極まりない疎外感みたいな精神状態。
最初の部屋はブロンズでまとまった空間だったのだけど、入っての第一印象は、とにかく「あー奈良さん、怒ってんなー」ってこと。どうしたって震災の影響が見られるものばかり。どの子も、おいお前ら、ふざけんなよ、って顔をしていた。
その後、かろうじてアトリエ部屋の空間があり(個人的には、これがお決まりの奈良スタイルなんで、一応やっときますね、みたいな印象を受けた)、その後はドローイングと油彩のオンパレードという、ごくシンプルな会場構成。どれも、怒り、悲しみ、憤り(そしてもしかしたら、諦め)の作品ばかり、と私には感じられました。
さらっと見て終わり、って感じの内容で、ねえねえ、みんな、この展示おもしろかったの?? と正直もやっとした感情を払拭しきれないまま。わー奈良さんさすがだなぁ、感動しました! とは全然思えませんでした。
11年前の横浜美術館や一連のAtoZと比較するとアトラクション感に欠けるからつまらない、とかいうことでは全然なく。

いちばん印象に残ったのは「Let’s Talk About ‘Glory’」という作品で、それなりに長い通路の正面にどかんとある油彩なんですが、テーブルの向こうに女の子(あるいは男の子、結局のところは「自分」)が座っていて、睨みきかせてこっちを見てるんですね。これって「栄光ってものについて、さあ語ろうか」ってことでしょ。お前らが今まで大切にしてきた、金とか経済の繁栄とかよー、そーいったくだらねえ(武勇伝的な)ことについて聞かせてもらおうじゃねえか、ってことでしょ。大切なのは人命じゃねえのかよ、古い考えでこれからもいくつもりなのかよ、っていう。

なんか全体的にそういう雰囲気なんですよね。会場全体が。
お前ら(体制、政府、国、といったこと)ふざけんじゃねえよ、っていう。
それにめちゃくちゃ違和感があって。
もちろんパンクって反体制ってことでしょ? という意識が私にはありますし、拳突き上げていこうぜ、ってのは全然構わないんですけど、私が奈良さんを好きなのって、自分と戦ってるというところなんですよね。昔から。いつでも筆一本でスタート地点に立ってやるぜ、みたいな。

震災後色々ありました、もちろん。許せないこと、不条理、変わらない矛盾、おかしいシステム、そんなものの露見がいっぱいある。でも、そのなかで「自分と戦ってる人」っていうのは「お前らのここが悪い!」っていう「裁く」姿勢に、果たしてなるだろうかと思うんです。やっぱりどこか「奈良さん、いつからそんなに偉くなっちゃったの?」っていう印象を持ってしまう。

ドローイングなんかに描かれてることは基本変わってない(HEY HO, LET’S GOとかNEVER FORGET YOUR BEGINNER’S SPIRIT、もちろんNO NUKESなど)のだけど、いやいや、スピリット変わってねーか? みたいな。いや人間変わっていくのが普通だし、それが成長なのだとは思うんですけど、うーん、なんというか、どうなんですかね。

でも、今の体制にダメ出ししたとして、じゃあ奈良さんがシステムを作れるのかっていったら難しいところなわけで(性質的に)、それを本人もわかっているから葛藤があるというか、そういうのも作品には出ていたような気がします。だからすっきりしないんじゃないかなと。余計。

「いつでも筆一本に戻れるぜ」だからこそ子どものこころにも響くわけで、そういうところで勝負してほしかったな、と思ったり。そのうえでもちろん反体制というか。あたらしい考えかたでいかないといけないんじゃないのかなぁ? 「善/悪」みたいな分けかたって古いし危険じゃね? その時点で自分も「Let’s Talk About ‘Glory’」て言われる側じゃねーの? と私は思うんですけどねー。どうなのかなー。

こんなどうしようもない世の中で、どうやって生きて行く? っていうのが大切なわけで、そこがあまり感じられなかったですね。まぁ今後の展開に期待って感じで。いやいや奈良さん、アンタこんなもんじゃないでしょー! みたいな気持ちです。

あ、あとから今号の美術手帖見たら表紙が「Let’s Talk About ‘Glory’」だったので読んでみよかなと思う次第。でも昔ほどインタビューとか熱心に読まなくなりました。時間がなくなったのかなー。でもAKBPVは見てたりする。

16.9.12

AMATAというサロンが好きな理由





今でこそ、ヘアスタイリストとメイクアップアーティストがそれぞれ別の人、なんていうのが当たり前になったけれど、90年代の日本では、まだまだ「ヘアメイクさん」が一般的。メイクアップアーティスト志望だけれどヘアにまったく興味がない(言い訳)、といった私には厳しい時代だったのです。
私の進路や時代についてはどうでもよくて、何が言いたいかというと、私はヘアスタイリングに圧倒的に興味がない、という話です。
すごく不思議なんですが、昔からメイクはとても面白いし、色々な表現が好きなのに、ヘアになるととたんに食指が動かず。好きなスタイルも決まりきってて昔から全然変わってない。ある意味すごくコンサバだったりします。

でもだからこそ、そのごくごく狭いストライクゾーンにハマる美容師さんでないとだめで、いろんなサロン行きましたが、再訪なしのところはゴマンとあります。
不思議なもので、こういう写真家が撮るこういう女の子のスタイルが好きでさー(例:ユルゲン・テラーの撮るアニー・モートン、イネスの撮るジェシカ・ミラー等)と伝えたとして、それがドンピシャに伝わっても、その通りに切れるとは限らないんですよね。って顔が違うから当たり前だろと言われそうですが、そういうことじゃなくて、そのスピリットを私にスライドして注入できるかどうかが仕事でしょ?(逆ギレ)と。だって現にそれが出来るスタイリストもいるんだもん。その違いって何なんですかね。相性と言ってしまえばそれまでなんですけど。

もう一生こういうのが好きと思われる


ここ15年くらい、ネットとかSNSやってるとよく思うのですが、好みとか趣味とか感覚とか、そういうものをシェアできる人って案外結構イルンダヨネー。killieとバカ姉弟とインゲ・グロナールと大島弓子が全部バッチリハマる、というのはさすがに希有ですが、ビキニ・キルとイネスとボリス・ヴィアンの組み合わせなんてもはやAKBくらいにマジョリティなんではないかと思わせるものがあります。いや、マジで。
でも、その同じ嗜好の人たちが合わさって何かをつくろうとしても、いいものが出来るとは限らないというか。シェアできるから過信するしちょっとした違いが出たときに致命的になるというか。そういうのはあるよなーと思ってます、常日頃。もちろんうまくいく人だって沢山いるのですが。


前置きが長過ぎて失礼いたしました。というわけで、美容室ジプシーがデフォルトな今日この頃だったのですが、この12年くらいはAMATAで落ち着いております。私のよーな庶民が足を踏み入れていいんでしょうかっていうラグジュアリーなサロンなのですが、私はここへ来て、今までの「サロンなんて美容師との相性がすべて」と思っていた自分が猛烈に恥ずかしくなりましたね。

AMATAというサロンは、お客様が完璧にそのひとときを堪能できるように、めちゃくちゃ考えられています。超人気店のはずなのにせわしなさがなく、あるのは心地よい躍動感とリラックスできるムード。かならず深い満足とともにサロンをあとにします。
よく売れっ子のスタイリストがつくと、ちょっと相手をされては待たされ、ということがありますが、ここはまったくナシ。お客様が一切のストレスを感じないように、導線やタイムテーブルが考え抜かれているのです。

大きな窓からいっぱいに日差しが入り、パリッとした清潔感が美しい白を基調とした店内には、フレッシュな洗練の花が必ず飾られています。そこで受けるヘッドスパは至福の一言。本当に時間を忘れるとはこのことで、1時間くらいかと思ったら3時間くらい長居していたこともありました。

毛髪診断士であり、ビューティプロデューサーであり、実はイラストレーター(しかも元ファッションデザイナー)でもあるというマルチな活躍っぷりの美香さんが、言わずと知れたここのオーナーなのですが、ホスピタリティとバイタリティにおいて、他の追随を許さないかたなのです。
とにかく、お客様やスタッフに対する気配りがハンパじゃない! そしていつも完璧に美しい! サロン外の仕事もありまくりのはずなのに、いったいいつ寝ているのだろう…そしてどうやってこの美貌をキープして(進化させて)いるのだろう…というのは日本の七不思議くらいにエントリーしてもよいかもしれません。ほんとは5人くらいいるのではないだろうか。

AMATAには、こういうスタイルが好きとか、こうしてほしいといったこちらの意向を明確に説明しなくても、淑女がすっとハンカチを差し出すようにやさしくしっかりと汲み取って、期待以上のものを返してくれる場所、というイメージがあります。それはひとえに美香さんの人間性なんですよね。といつも思います。
仕事ができる美しい女性というのはたくさんいるのですが、スタッフを束ねて理念や技術をシェアし、育てていくそのバイタリティは相当希有なものだと思います。(もちろんよい意味で)こだわりがしっかりとある美香さんなのですが(それはAMATAのサイトにもあらわれています)、そのレベルが高すぎて完成されまくってるんですよね。それをうけてスタッフも、美しく素敵に育っていくのだろうな、と毎回感動しています。


今回新しく導入された「ELEMENT6」というトリートメントを体験しましたが、これがもうスーパー素晴らしい! その名の通り、ヘマチンやポリフェノールなど6種類のカクテルをカスタマイズして、スーパーダメージヘアに浸透させるというもの。その際、赤外線と超音波を発するREMEDYというノンヒートアイロンとナノスチームを使い、髪の深部まで送り届けます。
もともと混ざっているのではなく、6種をその場でカスタムしてブレンドというのがポイントですよね。比率の調整ができるのはもちろんですけど、ひとつひとつのエレメントの純度が高い状態で髪が吸収できる、というのがデカいのではないかなと思います。今までのどんなトリートメントとも異なる、信じられない仕上がりでした。

微妙な自撮りで恐縮ですが、ツヤ、ハリ、コシ、手触り、すべてにおいてパーフェクト!



美香さんのホスピタリティとバイタリティは、手がけられた商品にも随所にあらわれているのですが、長くなりますのでその紹介はまた別の機会に。