うーん。
どうですかマタニティフォト。撮りたいですか。
私は全然撮る気なかったです。
まず妊婦の状態が美しい!みたいな感覚があまりピンと来ず。神秘とか生命の不思議とか、理屈ではわかるんだけどもさー、いざ鏡見てみると単なる面白体形でしかないというかね。どちらかというとフリークスの域、みたいな印象しか。
や、美女が妊婦の状態だったらそりゃ美しいとは思いますが、顔、自分だしね。なんというか、撮って?その後?その写真を?どうすんの?みたいなツッコミが脳内で成されるわけですよ。部屋に飾ってはどうか?みたいなご提案もいただいたけど、何が楽しくて毎日自分の写真見ながら生活しなきゃいけないんでしょうか?そんなヒマ(空間)があるならPatti Smithの写真を貼るっちゅーねん、って感じで。ハイ。
ま、ないよなと。
そのよーにずっと思っていたんですが、妊娠経験者の皆さんは声を揃えて(←これマジで)「マタニティフォトは撮ったほうがいい!」とおっしゃいます。いったい何故か?その理由は概ねひとつでして、
「妊婦だった自分を忘れてしまうから」なんだそうです。
お腹が大きかった状態を忘れてしまう、それも、だんだん思い出せなくなっていくよ、みたいなゆるやかな忘却ではなく、きれいさっぱり、忘れてしまうんだそう。「70%の記憶が抜け落ちて30%しか覚えてない、とかではなくて、100%抜け落ちる」(byまさこちゃん)とのことで、それはたとえばおなかの大きな妊婦を見たときに、ああ私もあんなだったなぁ、って思うことはないってことなんだよね。それくらいの抜け落ち感なのだ。
きっと、生まれたらほんとにあらゆることがそれどころじゃないというか、目の前の生き物に対して精一杯向き合う日々となり、過去なんか振り返っていられない、というのもあるんだろうな。それは今の私には想像することしかできないけど、想像することは、できる。
ま、結論から言うと、だからってわけじゃないんだけど、撮りました。ハイ。
結婚のときやプロフィール写真が必要なときなど、節目にお願いしている、大好きな、中川正子さんという素晴らしい写真家がいましてですね、そのまさこちゃんが「撮るよ〜」って言ってくれたからという謎の受け身姿勢。
とはいえ、忙しくエネルギッシュに活動しているまさこちゃんなので、予定が合わないってこともあるだろうし、うまくタイミング合えば撮ってもらって、そうじゃなければ別に撮らなくていいか、くらいに思っていて。
が、そこはさすがまさこちゃんで、最短距離で、最小限のやりとりで、ピピピと撮る日が決まった。ほんとに「明後日撮ろう」みたいなスピード感で。まったく、さすがとしか言いようがない。(ちなみに、マタニティフォトはお腹が大きくないと意味ないので、撮るのは妊娠後期がいいようです。まさこちゃんは最初から「臨月がいい」と言っていましたが、いろいろ見てると8ヶ月以降がおすすめって感じでしょうか)
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問題は、どんなマタニティフォトにするか、ってことなのですが。
「マタニティフォト」で画像検索してみると、やはり私が違和感を持っている「妊婦は幸せの象徴」「ママになるということ」「家族愛」みたいなものだったり、神秘とか普遍的な愛とか、そういうものが溢れ出ている(というかそういうものを狙ってる)作品の多さに衝撃を受けます。
それはそれで全然、いいんです。いいんですが、私がコレ〜?みたいに思っちゃうのも事実で。だって本人がそういう壮大なものを感じてないわけだからさぁ。なんかよくわかんないけど、捏造になっちゃうというか。
あと、どこまで脱ぐか?問題。
いろいろなマタニティフォトを見ていると、割と露出するのが当然って感じで麻痺してくるんですね感覚が。まったくのオールヌードとか、トップレスなんかも見慣れちゃう。でも、張り切って脱いで、後で「これ、どうしよう」ってなってしまうのも勿体無い。なので、ヌード「だけ」を撮らないようにするといいのではないかなと個人的には思います。何パターンか撮るとか。あとは料金プランなどもあるので、条件次第ですかね。
自宅での撮影かスタジオ撮影かいずれかが多いように思うのだけど、いずれもリラックスできる環境が大切かと思います。私はカメラマンが友人だったからすごくいいテンションでできたけど、初対面のカメラマンにお願いすることもあるわけで。音楽とか、室温とか、同行者とか、極力自分が落ち着ける条件を揃えておくといいかなと思います。
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私は結局いろんなパターンを撮ってみて(ヌードはやらなかったけど)お腹に手を当てたり覗き込んだり微笑んだり、っていうのはやっぱり全然しっくりこなくて、結果、こーゆー感じになりました。
気持ちとしては、やっぱり面白体形(っていうか面白体験)の記録、みたいな感じですね。記念とかでなく記録。ログ。サンプル。標本。そんな位置付け。
でもそこはさすがまさこちゃんでして、通常の私よりはるかに美しく撮っていただいております。しかも修正とかはしていないらしいので、カメラマンの目ってどうなっているのでしょうね?スゴイネー。
今はまだ出産していないので「妊婦だった自分をまったく覚えてない!」なんてこともあるはずがなく、今の自分の面白体形を客観視するためのツールみたいな感じなのですが、これから出産して、子どもも大きくなって、私ももっと歳をとっていって、そういった節目に写真を見返したとき、いちいち沸き起こるものは変化していくんだろうな、というのは容易に予想できるわけで。それはひとつの楽しみとなるし、あ、じゃあやっぱり、マタニティフォトは撮ってよかったんだな、って思える理由に、じゅうぶんなり得るのであります。
まさこちゃん、ほんとにありがとう!
まさこちゃん、ほんとにありがとう!
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