27.12.15

帰ることのできる場所



3月に40歳になります。

さて、いつでも帰ることのできる家のようなものがあると自由に羽ばたける、のでしょうか? 家庭の話ではなくて…、嗜好の話。私の大好きな世界というものがあって、それがおもちゃ箱みたいなものだとしたら、箱のサイズは伸縮自在でおもちゃは増えていく(し減っていく)のだけど全体のテイストは変わらず。みたいな。そういうものがあると、その箱にはそぐわないものに関しても、いいよね〜なんて俯瞰的コメントができてしまったりする。そんな気がする。

私にとっての、いつでも帰ることのできる場所。
そこにあるのは、こんな風景とこんな香りだ。きっと。


Juergen Tellerは、私が大学時代に熱狂的に好きになった写真家だ。今でももちろん好きだけど、彼がファッション写真を撮っていた頃というか、いや今でも撮っているけど、一度ファッション写真に嫌気が差すよりもっと前の、Venetia Scottを愛していた頃の、要するに90年代半ばくらいまでの彼の写真に心から惚れ込んでいた。天国がこんな場所だったらいいのに、なんて思っていたっけ。硬くて乾いた骨子に、ゼリーのようなオブラートのような、薄い膜がはってある、この感じ。乾いてるものが好きだけど、この薄い膜が大事なのよ。それは何の感情も伴わないけれどもどこかあたたかい涙、のようなものかもしれない。

この写真集は擦り切れるくらいまで見ていて、私には珍しく、カバーに記憶のない切り傷が入ったりしている。今改めて開いてみると、そこにある写真が「モニタと無縁である」ということを突きつけられると同時に、あ〜やっぱり私の原点はここだよなと感慨にふける。この世界があるから、私は「沢尻エリカもかわいいよね」なんてセリフが言えるのだ。


Comme des Garconsの香水をはじめて嗅いだとき、こういう香りを香水として楽しむことが許されるのか、と衝撃を受けた。のを今でも覚えている。発売は94年、場所は横浜のそごうだった。ということは、バイトに行く前の時間だったのかな。それまで私が好きだな〜と思っていたのはインドのお香のにおい。それもサンダルウッドが大好きだった(今思うとそれを模倣した香料でできていただろうけど)。それなのに、世の女性が好むのはサラの香リだとか、せっけんの香りだとか、花束の香りだとか、フルーツの香りだとかそんなのばっかりで、私はもう、女の子として生きていくのは難しいのかな、なんて思っていた。なんというか、かわいらしい女の子としてね。

そんな私を、カルダモン、シナモン、ナツメグ、クローブ、ペッパー、サンダルウッド、フランキンセンス、アンバー、ラブダナム、シダーウッド…etc,etc……、のあわさった、夢のような香りが救ってくれた。しかもクリエイションの頂点である(当時の私にとってはそうだった)Comme des Garconsが提案する香りだなんて、と浮かれた。自分の存在を許されたような心持ちだったと思う。10年くらいはこの香り一筋で、次第に他のものも使うようになるんだけど、選ぶものには統一性があって、その原点にはこの香りがある。ここ最近はいつのまにか家のラインナップから姿を消していたけれど、改めて使ってみると、幽体離脱してどっかに浮遊していた私の魂が、ふわっと自分の体内に戻ってきた感じ?この香りがあるから、今はあんなに苦手だったパウダリーフローラルや、バニラのようなオリエンタルスイート、そして実はネーミングが結構謎な「せっけんの香り」までなんでも楽しめる。

そう、だから自分にとってのスタンダードを持つっていうのは、生きやすくなる術だと、私は思う。40歳を目前に、まだまだ新しい世界が見たい。そう清々しく思えるのは、「いつでも帰ることのできる家のようなもの(嗜好)がある」ということが大きいのではないか。矛盾しているようですが、そこに自分なりのバランスがあるんですね。



ちなみにTASCHENはお金のない学生にもやさしい出版社だったよね。ネットなんてなかった時代に、ほんとうにいろいろなものを見せてくれて感謝しています。

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